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買取が明かすノウハウ

ニートは職にも就いておらず、学校にも所属しておらず、仕事を探す動きをしていない若者たちの総称だが、勝手に世間(他人)から「ニート」と烙印を押され、マイナスの格付けをされている。 は社会学の立場で執筆しているわけではないので、「負け犬」の存在が少子化を促進させているとか、「ニート」の存在が将来の生産人口低下や税収不足につながるといった社会的影響は議論しないが、他人が勝手に何らかの条件でグルーピングをして「格付け」することは普通に行われているということだ。
もちろん「ニューリッチ」というグルーピングも一種の格付けで、私が「こんな属性の層はニューリッチだ」と勝手に格付けしたとしても、その属性に当てはまる人がみんな「そうです。 おっしゃる通り、私たちはニューリッチです」と肯定するとは限らない。
格付けとは、本人の意思・希望とは無関係に他人が勝手に決めつける「グルーピング」だ。 本人たちにとっては余計なお世話だろう。
他人が勝手に「格付け」を押しつけるのではなく、本人が好んで「格付け」されることを望んでいる場合は話が違ってくる。 ミスコンはそうであろう。
結果的には審査員によって「順位付け」はされるが、参加する女性たちは自分の容姿に自信を持って「高い順位」をつけてもらうことを好んで参加している。 願いが叶って「優勝」「準優勝」「特別賞」など栄冠を勝ち得た女性たちは、「自分は特別である」といった優越感を持つことになり、「特別な自分」にふさわしい待遇を得ることを求めるのは当然であろう。
例えば、「ミスOO大」という肩書きでアナウンサーになる、モデルになる、タレントになるといった誰もが手に入らない「特別な職業」。 多くの男性から交際を申し込まれ、お見合いの経歴書に書かれる「元ミスOO大」という言葉への賞賛といった「特別な待遇」。
ニューリッチの台頭とともに突如生まれたラグジュアリーマーケットの根底には、こういったニューリッチの「特別な自分にふさわしい待遇を受けることができる」「特別な自分にふさわしい商品やサービスを利用したい」といった階層意識がある。 ニューリッチは「自分は他人よりも経済的余裕がある」「自分はリッチで豊かな生活を楽しむ価値があり、精神的余裕がある」という、自主的な「格付け」感を持っている。

これこそが冒頭で紹介した、ニューリッチの新階層意識から生まれた「格付け」=クラシフィケーションである。 これまで階層社会、階層意識といったものが日本に全くなかったわけではない。
創業何百年と続いてきた老舗の創業者一族、莫大な不動産を持つ大地主一族、代々続く政治家の一族、名門企業の経営者一族、大病院の経営者一族など、高額所得者番付にランクインしてきた「元来のお金持ち」は常に一定の人数が存在してきたし、日本の「上流」階層(階級)なるものも確実に存在してきた。 元来のお金持ちとニューリッチとの「階層意識」の違いは、ニューリッチは後天的に「階層意識」を持つようになったことだ。
ニューリッチは1章でも紹介したように、住み込みのお手伝いさんがいる大豪邸で生まれた訳でもないし、運転手付きの車で学校の送り迎えをしてもらったわけでもなく、普通の「庶民」である。 才能と努力でIT企業の経営者として花聞くことになったり、 年以上も狭い社宅で我慢してきたが莫大な退職金を得て突然リッチになったり、優秀なセールス成績を上げて1000万のボーナスをもらったりと、時期や金額は別として、「後天的」にリッチになっていった人たちである。
また共働き家庭だから可処分所得が専業主婦家庭よりも多いとか、 独身だから可処分所得が、妻子がいる家庭よりも多いとか、「結果的に」他人よりリッチになっていった人たちである。 こういったニューリッチは途中で一つのことに気づく。
「自分たちは人より多少の経済的余裕があって、もっと「格上」の生活を楽しむことができる精神的余裕もある」ことを。 ここでまわりの人よりちょっとした優越感と「特別な」階層意識を持つことになるのだ。
ここにラグジュアリービジネスのニーズがある。 ここで誤解がないように注釈しておきたいのだが、元来のお金持ちに「後天的」な才能や努力がないと言っているわけではない。
老舗や名家、代々引き継がれている看板や財産などを維持して大きくしていくことは並大抵の努力ではない。 ただニューリッチはスタートが必ずしもリッチではないが、元来のお金持ちはスタートからリッチであるため、彼らがその後の才能と努力で超リッチになったとしても、あくまでも上流階層の中でのアップである。
すなわち、庶民にとっては別世界のままなのである。 頑張った自分にご褒美ニューリッチは、「後天的」「結果的」にリッチになった新しい金持ち(新興富裕層)であり、贅沢な商品・サービスにおカネを使うことができる人たちであると、単純に定義付けされることが多いが、それでは宝くじで1億円が当たったとか公園で3億円を拾ったといった「運」によって結果的にリッチになった人たちと同じになってしまう。

ニューリッチの消費行動は、「経清的余裕があるから贅沢を好む」といった単純な法則で片づけられない。 ニューリッチは「多少の犠牲」と引き換えにリッチになったのであり、その「多少の犠牲」を埋めるためにもラグジュアリーを求めている。
ほとんどのニューリッチは、それなりの経済的余裕を得るために多少の犠牲を払ってきて高額所得者番付のトップに外資系金融会社のサラリーマンが躍り出たことで、年収の高さばかりが注目される外資系金融マンは、1年毎の契約という雇用不安定性と、「稼げなくなった」時の居づらさ、次の会社でのポジションにも影響することや、精神が休まる暇のない長時間勤務について語っていた。 また妻が総合職の正社員であることで、かなりの世帯所得を稼ぐ共働き夫婦は、時には片方の転勤によって一諸に暮らせない不自由さや、保育園や学校のことを考えると子供を持つことを躊躇してしまう不安(子供を持たないのではなく、子供を持てないという不安)について語っていた。
大手企業で役員ポストまで上りつめた女性は、ここまで来るまでに辛い思いをしてがむしゃらに働いてきたか、いざという時に頼る人がいない不安や老後の心細さを口にした。 だからこそ「多少の犠牲」と引き換えに得たおカネで、「多少の犠牲」で失ったものを満たそうとするのである(犠牲といっても悲壮感はないが)。
長時間勤務で疲れた心身を高級ホテルのアロママッサージで癒す、多忙で手がまわらないハウスキーピングをアウトソースする、仕事で過敏になった精神を休めるために最高の音響システムを備えたリビングルームを調える。 もちろん「頑張った自分にご褒美」ではあるのだが、ニューリッチは賛沢をするだけの「人よりうんと頑張ってきた意識」と「それなりの犠牲は払ってきた意識」を強く認識している。
ニューリッチを顧客として捕まえるのに大切なことは、次の二つのメッセージである。 一つは「あなたは多少の犠牲を払ってでも、一生懸命努力して成功してきた特別な人たちです」ということ。
もう一つは「才能と努力に満ち溢れたあなたにふさわしい特別な商品・サービスをご用意しています」ということである。

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買取の本を片っぱしから読めば、買取の文章力や表現力は、ある程度身につきます。